2009年06月14日

鯨蝋は高級蝋燭や石鹸の原料、灯油、機械油として

鯨蝋は高級蝋燭や石鹸の原料、灯油、機械油として利用された。特に精密機械の潤滑油としては代替品が無く、1970年代まで需要があった。かつてはこの鯨蝋を目的に大量のマッコウクジラが乱獲された。 特に米国では18世紀から19世紀にかけて盛んにマッコウクジラを捕獲した。米国が日本に開国を迫った理由の一つに捕鯨船の中継基地の設置が挙げられるが、アメリカ大陸近海のマッコウクジラを捕り尽くし、日本に近い西太平洋地域に同じマッコウクジラの大規模な群れがあるのを発見してのことである。今でも同海域には数万頭のマッコウクジラがいるといわれる。

尚、マッコウクジラは肉にも蝋を含むため、基本的に食用に適さず、油抜きをしないで大量に食べると下痢をする恐れがあり、主に大和煮に用いられ、油抜きをした皮(コロ)を食すのが一般的である

マッコウクジラを題材とした創作物として最も著名なものはハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』であり、そこに登場するクジラ「モビー=ディック」であろう。 また、この白鯨としてのマッコウクジラは、二次創作物的なかたちをとって多くの娯楽作品(映画、漫画、アニメ、ゲーム等)に登場している(
ブレイクダンス
大気化学
ヒッチハイク
投扇興
ラクロス
ダイエット
ロデオ
フードテーマパーク
ホッケー
ルームシェア
日本の演劇
熊本の湯めぐり
食の文化
お寺案内
骨の調べ
地震のおこり
筋肉事典
湯・香川
アロマ広場
チョコレート戦争

白鯨以外のマッコウクジラ
白鯨ではないマッコウクジラは、それほど多くの創作物で大きく[5]扱われてこなかったようであるが、それでも以下の作品を挙げられよう。一つは生物としての本種と人間の関わりを描き、一つは発想の原点として本種の存在感を活かそうとしている。

漫画『海獣の子供』 :五十嵐大介 作。マッコウクジラに対する信仰が残る島が登場する。
ビデオゲーム『ダライアス』シリーズ :本種をモチーフとした敵方の最強キャラクター、「グレートシング」が登場する。

2009年05月29日

テルミドール9日

すでに参政権を得た下層市民、無償で土地を得た農民の保守化、さらにはインフレによる生活圧迫、また恐怖政治によって自らの生命をも脅かされていた反ロベスピエール派は、密かにその打倒を計画する。1794年7月27日(フランス革命暦テルミドール9日)午前11時、国民公会に側近のサン=ジュストを伴って出席したロベスピエールは、議長デルボワや議員タリアン、ビョーヴァレンヌらによって糾弾される。

場内から「暴君を倒せ」と野次が上がる中、タリアンはロベスピエール派の逮捕を要求し、午後3時、ロベスピエール、クートン、サン=ジュスト、ル・バ、オーギュスタン・ロベスピエール(ロベスピエールの弟)らを逮捕する決議が通過した。翌28日、ロベスピエールら22人はギロチンで処刑された。

ロベスピエール一派の粛清によって革命は転換点を迎えた。過激な革命運動は沈静化し、ブルジョアジー勢力が復権する。1795年10月26日、国民公会が解散されて総裁政府が成立。そして1799年、ブリュメールのクーデターによってナポレオン・ボナパルトが執政政府を樹立し独裁権を掌握した。

革命によって生まれたフランス第一共和政は、ナポレオンによるフランス第一帝政の開始によって10年余りの短命に終わった。さらに、ナポレオンの失脚後には革命によって崩壊したブルボン王朝が復活した(フランス復古王政)。
審美歯科 贈答品 教育 宿泊施設 ステイ 地域情報 香水 興信所 プチ整形 キャッシング 調査 審美歯科 リラク 老人 リサイクル 学習 ゲーム 家庭教師 キャンプ場 しみ取り 産業 ケア 金融 葬儀 建売 グルメ ぜん息 植物 整体 インテリア 通信教育 海外 ギフト 学習指導 関東 ネイル 動物園 しみ取り 信託 老人 暮らし ペット ぜん息 ショップ 楽器教室 衣料 学校 信越北陸 ネイル 公園

革命派には無神論者や「理性主義」者が多く、その信奉する教義・主義に既存の宗教の存在が邪魔なため、キリスト教は徹底的に弾圧された。当時カトリック教会の聖職者は特権階級に属していた。革命勃発以来、聖職者追放と教会への略奪・破壊がなされ、1793年11月には全国レベルでミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類がことごとく没収されて造幣局に集められた。

エベールらは「理性」を神聖視し、これを神として「理性の祭典」を挙行した。ロベスピエールは、キリスト教に代わる崇拝の対象が必要と考え、「最高存在の祭典」を開催した。しかし、ロベスピエールが処刑され、一度きりに終わり定着しなかった。

その後もカトリック教会への迫害はしばらく続いたものの、1801年にナポレオンがローマ教皇とコンコルダートを結んで和解した。

なお、このような経緯を経たが、「革命は宗教を否定するものではない」とする主張もある。

2009年04月25日

ティリダテス3世

健康・健康関連スキンケアCOM
信託・建売関連ビジネスビジネス紹介
セキュリティ・クレジット関連快適生活ナビ
介護・精神医学関連健康家族サーチ
リンネソウプライムショッピングガイド
イーダッシュ教育ジャンプCOM
動物園・交通関連国内旅行特集COM
脂肪吸引・理容関連キレイ・美容全国情報ガイド
内職・調査関連ビジネスワールド紹介
運勢・結婚関連生活雑貨情報

彼はフラーテス4世の孫、ヴォノネス1世の甥であった。アルメニア王国の王ゼノンが死去した際、パルティア王アルタバヌス2世は自分の息子アルサケスをアルメニア王にしようとし、アルメニアに侵攻した。これに対しアルメニアの有力者はローマの支援を求め、これを受けてローマの将軍ルキウス・ウィテリスは、イベリア王国などをけしかけてアルメニアのパルティア軍を放逐するとともに、パルティア西部のギリシア人ポリスなどに政治工作をかけてパルティア内の反アルタバヌス2世の機運を高め、35年にはティリダテス3世を派遣してパルティア王とした。

しかし、ローマの傀儡色が強かったティリダテス3世は到底国内の支持を得る事は出来ず、勢力を盛り返したアルタバヌス2世の反撃を受け、まともな抵抗を行う事もできずローマ領シリアに逃走し、その後死去した。

ティリダテス3世(Tiridates III、在位:西暦35年 - 36年)は、アルサケス朝パルティアの王。幼少時より人質としてローマで成長し、ローマの支持の下でパルティアに進軍して王を宣言したが、敗れて追放された。

2009年04月09日

ライまたはラーイー

アルジェリア西部、オラン地方起源のポップ音楽。本来は両大戦間のころ都市部に定着したベドウィン歌謡を源泉として発達したオラン方言のアラブ語で歌われる音楽であるが、現在では非常に多様化し、ライというジャンル名も濫用、誤用されたものが定着しており、その全体を音楽として統一的に定義するのは困難である。

ジャンル名はもともと単なるかけ声に過ぎないが、のちには同音に近い「意見」「定め」などを意味するアラブ語に由来するものと解されるようになっている。

内容 [編集]
内容としては恋愛にまつわるさまざまな困難、苦しみを歌っている場合が多い。1940年代後半からシェイハ=リーミーティー(Cheikha Rimitti)を代表とする女性歌手たちが女性の性、アルコール等イスラム社会のタブーであるテーマを大胆に扱い注目を集めた。宗教歌や愛国歌も歌ったリミッティ達が歌詞の面でのライの精神を決定付けたと言える。


歴史 [編集]
元々はベドウィンが即興で歌っていたものが起源と言われ、1920年代にシェイハと尊称される女性の歌い手達により、オランの町の酒場に広まっていった。1940-50年代になると、ヨーロッパとの中継点としてスペインなどの影響を受けていたオランで、アコーディオンやサックスなどの伴奏がつくようになる。1960年代のべルムー・マッサウード(Bellemou Messaoud)らによる伴奏近代化などを経て、1980年代初頭にプロデューサー、ラシード・ババ=アハメド(Rachid Baba-Ahmed) のもとでシンセサイザーを主伴奏楽器とするポップ=ライ(pop raï) が成立する。この新しいライの担い手達は、それまでのシェイフ、シェイハの男性形)に敬意を払って自分たちをシェーブ(若い人という意味。女性形はシェーバ)と呼び、歌詞の内容も若者の日常を表すものとなっていく。

1988年には「ライの王」と呼ばれた人気歌手シェーブ=ハーレド(Cheb Khaled) がジャズ・ミュージシャン、サフィ・ブーテラ(Safy Boutella) とともにフランスのマルタン・ムソニエ (Martin Messonnier) のプロデュースのもと、アルバム『クッチェ(クッシェ)』(Kutché)を録音、発表する。ワールドミュージックの代表的レコードとして高く評価されたこの作品以後、音の近代化がさらに加速するが、それはアルジェリアにおけるイスラム原理主義伸張、テロリズム横行の時期と重なることになる。1994年9月には当時人気絶頂のシェーブ=ハスニ(Cheb Hasni)が暗殺される事件も起こり、多くの歌手が国外、とくにフランスに活動の中心を移す。

フランスは多くの外国のアーティストに活躍の場を提供してきた歴史をもち、また現在ではワールドミュージックの振興を文化政策の一環として押し進めている国であるが、ライはフランス在住の移民層全体の中でアルジェリア系、マグレブ(北アフリカ)系移民の占める数的、政治的重要性と関連して、ワールドミュージックの諸ジャンルの中でも特に注目される存在となった。

その人気の最初の絶頂は1998年9月にパリで開かれた『アン、ドゥ、トロワ、ソレイユ』(1、2、3 Soleils) コンサートに見ることができる。このコンサートは、1980年代初頭から移民二世世代の心情を代弁しながら音楽的にはロックを志向して活動していたラシード・タハ(Rachid Taha)、移民二世ながらフランス全国的なアイドル人気を得ていたフォーデル(Faudel)およびハーレドの三人の歌手が合同で開いたもので、その成功とライブ録音盤、ビデオのヒットがフランスへの「ライ」定着を印象づけた。またシェーブ=マーミーが1999年にイギリスのロック歌手スティング(Sting) とデュオでヒットさせた『デザート・ローズ』(Desert Rose) などがライ歌手の存在を国際的に認知させた。アメリカ同時多発テロ事件の後には、ライ歌手達による西洋とアラブ世界の架け橋的な活動への志向も見られる。

また欧州、特にフランスに数多いアルジェリア系移民の二世、三世世代がグループを組んで、自らの文化的アイデンティティを近代化されたライの中に模索して展開する音楽活動も顕著で、注目に値する。


傾向 [編集]
2004年にはフランスでDJコールとスカルプ(DJ Kore & Skalp) プロデュースによるアルバム Rai'n'b Fever が大ヒットした。他ジャンルとの混交がますます重要性を増し、よりダンサブルになっていくのがライの2005年時点での傾向と言えよう。  

チング ハムナ タッセル オセア おおやまと クーポ シカゴ バリケード フィロ スプリン スモーカー プロバ サーチドア シュメール スティバル あっぱれ シャコ マリッジ 回転計 モノレール トップア ラテン ブレキ ティブ ピナフ システ そうよう モビール ラテアー チャレン センター フライド ビアフラ フットウ ガニメデ ブルー 大根ダイ トフロント びえい ネック ひみつの扉 ジーパン ジェリ ゼソウ コスモス しだれ梅 ひのみ レッジ スリラ トラウ


2009年03月25日

GHQ(駐留軍)の指導により

1945年(昭和20年)12月10日 : GHQ(駐留軍)の指導により、名古屋鉄道労働組合(名鉄労組)を結成。
1947年(昭和22年)6月10日 : 名鉄自動車を譲り受け、バス事業を全て名鉄直営とする。
1948年(昭和23年)5月16日 : 西部線の主要路線を東部線と同じ1500Vへ昇圧し、東西路線の直通運転を開始。
この日より、新岐阜(現名鉄岐阜)駅 - 豊橋駅間を「名古屋本線」と名称変更(全線に亘って路線名を見直し・変更)。
1950年(昭和25年)4月25日 : 飯田線への直通運転を不定期列車で再開(1954年小坂井支線と共に廃止)。
1952年(昭和27年)4月10日 : 創業記念日を(旧)名古屋鉄道の設立日である6月13日に制定。
1954年(昭和29年)10月1日 : 旧渥美電鉄系の渥美線を、豊橋鉄道へ譲渡。
1957年(昭和32年)7月29日 : 名鉄ビル全館完成。本社事務所をビル内に移転、業務開始。
1958年(昭和33年)3月16日 : 庄内川橋梁を新橋梁へ切り替え。これにより名古屋本線の最急曲線を緩和し、枇杷島分岐点の通過速度を20km/hから40km/h(後に50km/h)へ引き上げ。
1959年(昭和34年)4月1日 : ダイヤ改正。5500系電車が登場し、量産車としては日本国内初となる料金不要冷房車の運行を開始。また、知立駅新設(移転)・配線変更により、名古屋方面から三河線への直通列車を増発。
1961年(昭和36年)6月12日 : 初代パノラマカーと呼ばれる7000系電車、名古屋本線の特急に就役。これにより、最高運転速度を110km/hに引き上げ認可・運行開始。
1962年(昭和37年)3月21日 : ラインパーク(現・モンキーパーク)モノレール線、日本国内初の跨座式モノレールとして開通。
1965年(昭和40年)8月5日 : 戦前に行われていたが中断していた国鉄高山本線との直通運転を、神宮前駅 - 高山駅間に準急「たかやま」を新設したことで再開する。
1965年(昭和40年)12月30日 : 鳴海駅 - 須ヶ口駅間にM式ATS(速度照査式ATS)を設置。1968年(昭和43年)7月までに全線(岐阜軌道線区間を除く)の設置を完了。
1967年(昭和42年)6月1日 : 名鉄バスセンター開業、本社事務所を同バスターミナルビル内に移転。
日本国内初のビル(立体)型バスターミナルであり、当時としては東洋一の規模を誇った。
1970年(昭和45年)6月25日 : 田神線が開通、モ600形電車を使用して新岐阜駅 - 美濃駅間の直通運転を開始。世界的にも稀有な軌道車両による鉄道線乗入れが始まる。
1971年(昭和46年)3月31日 : 日本民営鉄道協会(民鉄協)を脱退(1982年8月に民鉄協へ復帰)。
1971年(昭和46年)9月1日 : 名鉄と住友商事が共同出資で名鉄住商車両工業(後に名鉄住商工業に社名変更)を設立。日本国内で初めて車両保守部門を分社化し全面委託を行う。
1973年(昭和48年)8月18日 : 岐阜市内線でワンマン運転を開始。

オイルショック後(高度経済成長期終焉後) [編集]
1974年(昭和49年)9月17日 : 都市間連絡(特急)主体から急行を復活させるなど、都市圏輸送に改める白紙ダイヤ改正を実施。
1975年(昭和50年)8月24日 : 中央自動車道・中津川 - 駒ヶ根間開通を機に、一般道経由で運行していた「名飯急行バス」を高速経由に改めた「中央道特急バス(現・中央道高速バス)」として開業。直営では初の高速バス路線(事業)となる。
1976年(昭和51年)12月 : 名鉄初の本格的な3扉通勤車6000系登場。第1次オイルショック後に急増した通勤客輸送で威力を発揮し、名鉄における「通勤車」の地位を確立。M式自動解結装置(自動電気・空気連結器)運用開始。
1977年(昭和52年)3月20日 : ダイヤ改正。座席指定特急のみを「特急」とし、料金不要の特急を「高速」に種別変更。
1978年(昭和53年)8月20日 : 瀬戸線東大手 - 栄町間の地下新線が開通。長年の悲願であった名鉄線の栄新都心への乗り入れが実現。
1979年(昭和54年)7月29日 : 豊田線が開通、名古屋市営地下鉄鶴舞線との間で名鉄初の都市型相互直通運転を開始。
1982年(昭和57年)3月21日 : ダイヤ改正。7000系5編成を名鉄初の線内特急の専用車(通称白帯車)に改造・運用開始。以降、特急運用の専用車化を進め、1988年(昭和63年)に特急専用車1000系「パノラマSuper」を新造・登場させるきっかけとなる。
1983年(昭和58年)6月10日 : 特急列車に女性乗客掛(正式な乗務員としては戦後国内初)が乗務を開始。以降、順次増員を進めて早朝・深夜を除く全特急列車(指定席)に乗務となる。
1983年(昭和58年)11月24日 : 特急座席管理システム完成、座席指定券のオンライン発売(前売)を開始。12月1日の全列車から機械発券に切り替え。
1984年(昭和59年)1月1日 : 東名古屋港駅を除き、貨物営業を全面的に廃止。
1984年(昭和59年)3月20日 : ダイヤ改正。全線を網羅した「名鉄電車・バス時刻表」(現・「名鉄時刻表」)を初刊行。以後、ダイヤ改正毎に刊行。
1985年(昭和60年)3月14日 : ダイヤ改正。前年に八百津線へ導入した軽量気動車「LEカー」を、広見線(新可児 - 御嵩間)・三河線(猿投 - 西中金間)にも導入・本格運用を開始し、ワンマン運転を実施。
1987年(昭和62年)3月23日 : 新名古屋駅(現・名鉄名古屋)全面改装工事完成。これにより、普通乗車券を含めた自動改札機の本格使用を開始(以降、主要駅の自動改札化を進める)。
1988年(昭和63年)5月12日 : 全日空・名鉄グループ各社の共同出資で中日本エアラインサービス (NAL) を設立。コミューター路線の開拓に着手。
1989年(平成元年)7月9日 : 金山総合駅完成。東西連絡線開業時からの金山橋駅を移転し、駅名も「金山」に改称。新名古屋駅乗入れ列車に限り100%冷房化(ただし、運用上どうしても新名古屋駅に停車する営業列車に非冷房車が連結される場合が存在したが、その場合は同駅において該当車両のドア扱いを行わないことで「100%」とした)。
1990年(平成2年)4月1日 : 名鉄初のプリペイドカード「パノラマカード」を発売開始、名古屋本線金山 - 神宮前間の複々線化完成。
1990年(平成2年)6月8日 : サンライズバス設立。同年10月1日に名鉄バス蒲郡営業所(名古屋鉄道蒲郡自動車営業所)を移管し、採算(存続)の難しいバス路線を分社化する嚆矢となる。
1990年(平成2年)8月 : 特急専用車(1000系)増備により、名古屋本線特急の120km/h運転を開始。
1990年(平成2年)10月29日 : ダイヤ改正。本線特急を指定席車と自由席車併結(一部指定席化)とし、自由席特急の性格を持っていた「高速」を統合。また、瀬戸線以外の準急を急行へ統合し、停車駅の見直し(特別停車駅による停車駅調整)を行う。またこの改正より民鉄で初めて前照灯の昼間点灯を開始。

ナイフ ダイア レフト レター ブライ マル ドポト フットランプ テグス パーツ なんがい トーム かにた ナツメ スモン ピンクソーダ シソーラス ジッポ リキュール ジープニー インター レコー ブート スパン コマツナギ トップバ ジーンチ 炎神 オピエー かさだか うばゆり キャンセル モスキ メトロ フォーゼ クラウト キール ばんかん アンダ シンパ せいこ 鶏頭人気 スコッ パレード オーメン トイ人 テゴル ティコア コムタン ヤハウェ

2009年03月09日

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732年3月31日 ニーダーエスターライヒ州ローラウ(Rohrau) - 1809年5月31日 ウィーン、但し遺体はアイゼンシュタット)は、古典派を代表するオーストリアの作曲家。

たくさんの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれている。弦楽四重奏曲第77番第2楽章にも用いられた皇帝讃歌「神よ、皇帝フランツを守り給え」の旋律は、現在ドイツの国歌として用いられている。

生涯の大半はエステルハージ家に仕えていて、そのために作られた曲もかなりある。このとき、ほかの音楽家との交流や流行の音楽との接触があまり無かったため、徐々に独創的な音楽家になっていった。

1732年に、当時はハンガリー王国領との国境に位置したニーダーエスターライヒ州(当時は下オーストリア大公国)ローラウ村に生まれる。ローラウはハラッハ家(Harrach)の館がある地である。祖父は現在のブルゲンラント州(当時はハンガリー王国領)のモションテーテーニの出身。幼いころから音楽に才能を発揮し、6歳のときに親戚の家に送られ、音楽の勉強を始める。

1740年、ウィーンの聖シュテファン大聖堂のゲオルク・フォン・ロイター(Georg von Reutter)に才能を認められたことから、ウィーンに住むようになる。その後はここで聖歌隊の一員として9年間働いた(後半の4年間は弟ミヒャエル・ハイドンも聖歌隊に加わった)。ロイターはろくに隊員に食事を与えず、教育も適当であったが、音楽の都でプロの音楽家として働くという少年時代の経験からハイドンが得たものは大きかった。

1749年、声変わりのため、聖歌隊で高音部を歌うのが不可能になったので解雇され、その後友人の家に住み着くようになり、フリーの音楽家としての活動を始めた。この生活は10年間ほど続き、この間に幅広い仕事に従事している。知識不足を補うため勉強に勤しみ、初めての弦楽四重奏曲とオペラを作曲した。このころから評判が上がり始める。

エステルハージ家での仕事
1759年、ボヘミアのカール・モルツィン伯(Karl von Morzin)の楽長の職に就いた。ここで小さなオペラを指導し、またここのアンサンブルのために、初めての交響曲を作曲している。その後、モルツィン伯が経済的に苦しい状況になり、ハイドンは解雇されてしまったが、すぐに1761年、西部ハンガリー有数の大貴族、エステルハージ家の副楽長という仕事を得た。老齢だった楽長のグレゴール・ヴェルナー(Gregor Werner)が1766年に死去した後、楽長に昇進した。

中庭から見たエステルハーザエステルハージ家のお仕着せ召使いとして、主要な3つの邸宅に仕えた。ひとつはハンガリー西部でエステルハージ家の主要な中心地であるアイゼンシュタット(現在はブルゲンラント州の州都)の邸宅と、冬を越すためのウィーンの宮殿、それにアイゼンシュタット東部に1760年代に建設された新しく立派な宮殿エステルハーザ( Eszterháza、現在はハンガリーのフェルテード)の3つである。ここで作曲やオーケストラの運営、室内楽の演奏、オペラ作品の上演などの責任者となった。これらの仕事はひどく骨の折れるものだったが、仕事があるだけで満足であった。エステルハージ家の当主ニコラウス(ミクローシュ)・エステルハージ侯爵は音楽に対する理解者であり、ハイドンの作品に理解を示し、芸術家としての成長に必要なものとして、たとえば専属の小オーケストラを毎日貸すなど、様々な形で創作環境を整えた。

1760年、初妻のマリア・アンナ・ケラー(Maria Anna Keller)と結婚した。これは彼の楽長としての地位を保持することにもなった。ただこの結婚は長く続かず、子供も作らなかった。彼は長く付き合っていたエステルハージ家お抱えの歌手ルイジャ・ポルツェッリ(Luigia Polzelli)と1人、あるいはもっと多くの子をもうけたのではないかと言われている。

彼は30年近くもの間エステルハージ家で働き、数多くの作品を作曲した。音楽のスタイルもより向上し、エステルハージ家の外でもハイドンの人気は上がり、徐々にエステルハージ家のためだけではなく、出版するためにも曲を書くようになった。この時期の重要な作品として、パリ交響曲(交響曲82番?87番)、『十字架上のキリストの最後の7つの言葉』といったものがあるが、これらは外国からの依頼により作曲された。

1781年頃、ハイドンはモーツァルトと親しくなった。ハイドンとモーツァルトは弦楽四重奏を一緒に演奏するなどして交流を深めた。彼はモーツァルトの作品に深い感銘を受け、モーツァルトの最も得意とするジャンルであるオペラや協奏曲の作曲をほとんどやめてしまった。モーツァルトはこれとは対照的に、ハイドンの最新の作品番号33番の弦楽四重奏曲「ロシア四重奏曲」(37番?42番)に応えて、6つの弦楽四重奏曲(ハイドン・セット)を作曲した。モーツァルトはこの作品をハイドンに献呈している。また後には、モーツァルトの遺児(カール・トーマス・モーツァルト)の進学(音楽留学)の世話をしている。

エステルハージ家からの離職後
1790年、エステルハージ家のニコラウス(ミクローシュ)侯爵が死去。その後継者パウル・アントン(パール・アンタル)侯爵は音楽に全くと言っていいほど関心を示さず、音楽家をほとんど解雇し、ハイドンを年金暮らしにさせてしまった。ただしハイドンにしてみれば、自由に曲を書く機会が与えられながら、同時に安定した収入も得られるという事で、必ずしも悪い話ではなかった。ハイドンはいくつかのやり残した仕事を完成させるため、ドイツで音楽関係の仕事で活躍する興行主 ヨハン・ペーター・ザーロモンからの儲け話(イギリスに渡って新しい交響曲を大きな管弦楽団で演奏する計画)を受け入れた。

1791年から1792年、および1794年から1795年のイギリス訪問は大成功を収めた。聴衆はハイドンの協奏曲を聴きに集まり、ほどなくハイドンは富と名声を得た。なお、このイギリス訪問の間に、ハイドンの最も有名な作品の数々(「驚愕」、『軍隊』、『太鼓連打』、『ロンドン』の各交響曲、弦楽四重奏曲『騎士』やピアノ三重奏曲『ジプシー・ロンド』など)が作曲されている。
こかぶ オスト ギュラー バスドラ ツルム 愛秋豊柿 ダービー ニバル ブラジ カシューナ パトロン ミステ シール ロング サーチツナ サイトフエ ステイヤ トップギア オーベ ランチャ ガイア ダンベル プロボ ソフォク パンプス アパッチ フェリ 吉兆 チャーハン ナイトメアー ジンゼナ テーププ うるあわ サロペ タンゴ 風の神 ファレノ イメージ ポンポン キャタピ パッション シスアド チャイム アビレ スキトル チェンバ マントラ ターゲティ 銀色の舟 月のウサギ

ハイドンはイギリスの市民権を得て移住することも考えていたが、最終的にはウィーンに帰ることにした。ハイドンはウィーンに自らの大邸宅を建て、合唱やオーケストラのための宗教的な作品の作曲にとりかかった。このときにオラトリオ『天地創造』と『四季』、それに、エステルハージ家に捧げるためのミサ曲を6つ作曲している(ハイドンは1796年にエステルハージ家の楽長に再就任しており、エステルハージ家もこの頃までにまた音楽に理解あるニクラウス2世侯が当主になっていた)。ハイドンはまた、生涯に数多く作曲した弦楽四重奏曲の最後の9曲(『皇帝』、『日の出』、『五度』など)を作曲している。この時ハイドンはすでに齢60を過ぎていたが、その創作意欲は衰えることは無かった。

1802年、ハイドンは持病が悪化して、もう作曲ができないほど深刻になった。これは新しいアイディアが次から次へと湧いてくるハイドンにとって、耐え難いものであったことは間違いない。晩年、ハイドンは使用人に看護してもらい、たくさんの見舞いの客がハイドンのもとに訪れたが、しかしこの時期はハイドンにとって、少しも楽しいものではなかった。ハイドンは時々ピアノに向かい、自分でかつて作曲したオーストリアの祝歌を弾くことを慰めとしていたようである。

1809年、ハイドンはナポレオンのウィーン侵攻の中で死去。ハイドンの最後の言葉は、近くに大砲が命中して混乱している使用人たちを何とか落ち着かせようとするものであったという。

遺体はアイゼンシュタットに葬られている。なお、ハイドンの埋葬については奇怪な話があり、それは頭の部分だけが150年間切り離され続けたというものである。ハイドンの死後、オーストリアの刑務所管理人であるヨハン・ペーターという者と、かつてエステルハージ家の書記だったローゼンバウムという男が首を切り離したのである。彼らはハイドンの熱烈な崇拝者だったようで、頭蓋骨を持ち去り、丁寧に薬品処理を行なうなどして保存し続けた。が、結局は露見し、最終的に頭蓋骨は1954年、アイゼンシュタットに葬られている胴体と一緒になることができた。

2009年02月21日

DAISUKI!

松本明子や飯島直子ら番組のレギュラー出演者陣が、ゲストで訪れた芸能人とともに番組のロケで訪れた様々な街の名所を探索したり、何かを体験したりして楽しむ様子を放送していたバラエティ番組である。ゲスト出演者なしでロケを行う場合も多かった。このロケを収録したVTRの放送中は、何か突拍子もないことが常に起きるわけでもなかったが、それが逆に功を奏して息の長い番組となった。ゆったりした("ダラダラした"とも言える)雰囲気の漂う番組であった。
タンカー ドル箱 フィクサー チョンチ 微熱 フッター バーム トレー オペラ ロジス トーナメ ヤーコン ファーマ ジェノサ オフコン プロパ ビジタ お祭り ゴング ギタリスト ゲスト ハンド 北風のキ ピラニア リボン パイル ハイブリ チュウ ハット ワイツ ムラサ 雨のタン ストーン スターチ テーブ シンシア セピア バーナー しもにた イソウ サーチスギ パラメ シルフィ リッツ そうま タイム オスロニク キーポイ シャイニ ばるべーら

また、放送初期においては、番組の後半枠にて約15分間のドラマコーナーが内包されていた。このコーナーでは様々な新人女優たちが出演し、各々が配役をこなしていたが、これに関しては番組本編のレギュラー出演者陣はノータッチだった。本編とは全く異なるキャストが組まれていたことから、云わば『DAISUKI!』内で放送される独立した番組・ミニ番組的な存在のコーナーだったと言える。

毎回のCM入り前に表示されるアイキャッチには、篠原涼子、仲間由紀恵、辺見えみりなどといった当時の若手アイドルたちが出演していた。彼女らが「DAISUKI!」とタイトルコールを行うこの番組のアイキャッチは、アイドルのイメージビデオとしての役割も果たし、その演出が番組視聴者たちの間で話題になった。

テーマソングには、初期の関東ローカル番組時代においてはシックの「シック・ミスティーク」が、後にシュガーベイブの「SHOW」が起用された。エンディングテーマには、シュガーベイブの「今日はなんだか」が起用された。

番組の終焉とその後
番組放送末期においても安定した人気を保っていたものの、松本明子が妊娠したのに伴い、番組の放送終了が決定。番組視聴者から惜しまれつつも、その9年間にわたる放送に幕を閉じた。レギュラー放送後はその時点で終了しているが、2000年9月と同年12月にスペシャル版が放送された。

番組の放送終了後、日本テレビの土曜深夜枠はネプチューンと藤村俊二出演の大人向けバラエティ番組『プレイヤーズ』に引き継がれたが、これ以降、同枠は単発枠の『バリューナイトフィーバー』などを除き、短期間での番組の入れ替わりが相次ぐ"鬼門枠"として迷走を続けることになる。

放送時間
以下に示すのは、番組製作局の日本テレビにおける放送時間である。途中から25分遅れになったのは、直前の時間帯に放送されていた30分番組の『NNNきょうの出来事 Sports&News』土曜版が15分に短縮され、間の時間帯にて40分番組の『スポーツうるぐす』の放送が開始されたためである。この番組は系列地方局でも放送されていたが、地方では放送したりしなかったりと不定期で、週連続の企画が次週には流れなかったり、2週目から放送されたりするなどかなり適当であった。

毎週土曜 24:00 - 25:00 (1991年4月 - 1994年3月)
毎週土曜 24:25 - 25:25 (1994年4月 - 2000年3月)

出演者
レギュラー
松本明子 - 放送第1回から最終回まで出演。
飯島直子 - 放送第1回から最終回まで出演。
吉村明宏 - 放送第1回から1992年秋まで出演。
ビシバシステム - 放送第1回から1991年秋までは彼らによるコントコーナーがあった。
風見しんご - 1992年春から1992年秋まで出演。
中山秀征 - 吉村と風見に代わって、1992年秋からレギュラー入り。以後、最終回まで出演。

準レギュラー
見栄晴 - およそ1ヶ月から2ヶ月に一度の割合でゲスト出演するなど出演回数が飛び抜けて多く、事実上の準レギュラーとなっていた。

主な放送内容
毎回の収録にはテーマが設定されており、それに基いてロケが行われた。暦や季節に準じた行事に興じることが多かった。1つの企画が2週にわたって放送されたり、逆に、これらの企画が複合して1週に放送されたりということも多かった。

これらの他、1992年頃に笑福亭鶴光をゲストに迎えた時に、1985年まで彼がパーソナリティを務めたニッポン放送のラジオ番組『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』についての特集が組まれた。その回では、鶴光が『オールナイトニッポン』のパーソナリティを担当した当時を振り返り、その時にあった名場面・珍場面を再現してみるという内容の企画が実施された。


花見
潮干狩り
登山
ハイキング
ピクニック
新緑


七夕
キャンプ
祭り
海、川、プールといった水場でのロケ


月見
フィールドアスレチック - 飯島がアスレチックの池に落下したシーンは、後世の語り草となった。(後述)
デーキャンプ
温泉
農地での収穫
運動会への参加
学芸会や学園祭への参加
紅葉
ハロウィンパーティー


忘年会
クリスマス
新年会
スキー
スノーボード
スケート
節分
氷結した湖での穴釣り

季節に関係なく行われたもの
アパート物件探し - 物件を探訪する企画は年に何回か行われたが、新学期には必ず行われた。
競馬予想、競輪予想
ドライブ
サイクリング
老人施設の慰問
専門学校の体験入学、幼稚園の体験入園
創作活動、写生
乗馬
遊園地 - 関東一円の遊園地はかなり網羅していた。
動物園、水族館、アミューズメントスポット、ゲームセンター
カラオケ
麻雀(ドンジャラの時もあった)、パチンコ、他ギャンブル
楽器演奏
コンサート鑑賞
釣り
スポーツ観戦
スポーツジム体験、エアロビクス、ヨガ、エステ、マッサージ
料理
グルメ、ビヤガーデンやクラブ等での飲酒 - カクテル・日本酒・焼酎・地ビール・ワインなど、飲物の種類別にテーマを設定する回があった。また、カクテルの種類や日本酒の銘柄について紹介する回もあった。
社交ダンス、フラメンコ、フラダンス、日本舞踊
時代劇の殺陣
占い
ペットとの戯れ
祭りや地方イベントへの参加
商店街探訪、ブティックやジュエリーなどの専門店での物色、浅草橋の玩具などの問屋街や市場での物色、骨董品の物色
ボウリング、ビリヤード、ダーツその他のスポーツ - 特にボウリング企画は中山の十八番だった。
ボランティア活動
人間ドック
中古車探し

特にシリーズ化されていたもの
旅行
ジャンボ宝くじ当選照合 - 番組出演者陣がグループで共同購入を実施していた。
パチンコ
買い物 - ホームセンター、ディスカウントストア、スーパーマーケット等で実施された企画で、そこで販売されている様々な物を指定された金額内に収まるように考案しつつ購入して行く。そこで買った材料を持って、そのままキャンプや料理、パーティーになだれ込むというパターンが多かった。その場合、概ね1週目にて料理をするその模様が放送され、2週目にてパーティーを実施するその模様が放送された。

エピソード
1996年放送の「年末ジャンボ宝くじ企画」の回で、レギュラー出演者3名の言い付けにより、ゲストの見栄晴が北海道札幌市まで、山田雅人が福岡県福岡市まで宝くじを買いに行った(というより買いに行かされた)。しかし、実際にはレギュラーの3名はその時宝くじを既に東京都内で購入しており、宝くじを手に東京に戻った見栄晴と山田はそのことを知って激怒した。
年末ジャンボ宝くじの共同購入では、実際にドリームジャンボで200万円の当たりが出たことがあり、これによって翌年の宝くじの日(9月2日)の特番にレギュラー陣が出演することになった。
飯島直子は番組スタート時からのレギュラーだが、この番組の以前は『11PM』のカバーガールという喋る事の無い出演だった為か、DAISUKIでは初めのうちは殆ど喋る事が出来ない(というか、おとなしかった)感じであり、以後は徐々にカメラ慣れし饒舌になるようになった。そんな飯島直子は運動神経があまり良くないらしく、フィールドアスレチック編で、ターザンの様にロープにぶらさがり対岸の網に行くというコーナーで、飯島の乗ったロープが対岸までたどり着かず、真下の池にずっぽり全身落っこちてしまったシーンは同番組の名シーンとして、よく総集編でネタとなっていた。
若手アイドルたちが出演し「DAISUKI!」とCM前にタイトルコールを行う本番組のアイキャッチは、有名であり、志村けんがゲストのとき、彼が得意の変なおじさんの扮装で出てくる(しかも画面隅にはしっかり、「志村けん」と記載)見る側からすれば著しく意表をついた事例もある。この演出手法はその後長らく種々の番組でまねされ、影響を与えている。

その他
番組タイトル『DAISUKI!』の文字は、よく見るとAとSの文字が下部で交差しており、「AX」とも読めるようにデザインされていた。AXとは日本テレビのコールサイン「JOAX-TV」のことで、関東ローカル番組時代の名残とも言える。
番組自体はローカルセールス枠であったが、関東での番組スポンサーは当初日本たばこ産業(JT)であり、『おとなのにほへ』『GOB』から続くJT枠の番組であった。関東でのJT一社提供は長らく続いたが、番組末期ではJTがスポンサーを降り、各社相乗り提供となった。

2009年02月05日

ロバート・ガルシア(Robert Garcia)

主人公のリョウ・サカザキの親友でありライバル。リョウと同じく極限流空手の師範代であり、「最強の虎」と呼ばれる。『龍虎の拳 外伝』(以下『外伝』)では主人公になった。
ストレッ ハダール ハルジ ハーネス みずあ カトレヤ まぐわ 夏の月 ガイド 紫色カリフ ティング インディオ ショーアップ プルデン ソイビーン ソリスト レール アモチ コピー 繊細 スケジュー ダンボ 手まりか テルル 白いブランコ メデリン スターチス なめねこ ロット ピクノジェ ミラー 幸せの色 オドメー パンパス パイプ 5匹の子 はなびし ムーム レプチン スペンス チャリヤ ウルトラ ライン ハンドボ ツインベッド わにがわ スロット ドルユーザ トリオット チーズ

イタリアのガルシア財団(作品により「財閥」となっている場合も)の御曹司であるが、父・アルバートの教育方針に反発して奔放、極限流の門下生になった。以上の設定には、カプコンの格闘ゲーム『ストリートファイター』シリーズのケンとの類似が見られるが、逆にケンにもロバートから設定に影響を与えたと思われるものもある。このためか、『CAPCOM VS. SNK』シリーズではガルシア財閥とマスターズ財団が共同出資して格闘大会を開催した設定になっている(ただし、ケンが選手として出場しているのに対し、ロバートは作品中に一切登場しない)。

リョウの妹・ユリに好意を抱いており、『龍虎の拳』ではユリがさらわれたと知って、リョウと共にサウスタウン中を奔走する事になる。『外伝』では逆にユリに窮地を救われる場面もあり、EDではユリを伴ってイタリアへ里帰りをした。

髪型は後ろで結っているのは共通だが、真ん中分けであったり、オールバックであったり、真ん中分け風オールバックだったりと曖昧である。顎もまた、割れていたりなかったりする。

一人称は基本的に『龍虎の拳』シリーズでは「俺」、『ザ・キング・オブ・ファイターズ』(以下『KOF』)では「わい」となっているが、時折混じる事もある。言語は関西弁表記であるが、これはイタリア訛りの英語を表現するためである(また、『KOF'97』などでは椎拳崇との関西弁のやりとりが見られる)。

『KOF』でもリョウと共に常に出場していたが、『XI』でついに出場を逃す事になった。不参加の理由は、ガルシア財団のプロジェクトに参加するためだと、『XI』の公式ストーリーで語られていた(外伝的作品である『KOF EX2』でも、大会の主催にガルシア財団も加わっている事で不参加となっている)。『XII』 で再び出場を果たした。(旧衣装で) 『ネオジオバトルコロシアム』(以下『NBC』)では『武力』の年齢設定で登場するリョウ(Mr.カラテ)に対応して、同様に年を経た姿で登場した(この時のストーリーも『ストリートファイター』シリーズのケンと類似している)。なお、この設定でもまだユリとは一緒になっていないらしい(大切なものにユリを挙げているが)。また、こちらのロバートは、PS2版『KOF XI』に隠しキャラとして登場する。

『KOF完全読本』の付録CDにも収録された『美形会議』では『龍虎の拳』の美形キャラとして登場。アンディ・ボガードと共に会議のまとめ役を担当している。何かと血を吐く橘右京や、時折痛い所を突く八神庵に手を焼きながら、自身もたまにアンディをからかう事がある。一時期は『NBC』の美形キャラとして登場していた。アンディと同様、調子に乗り出すと会議とは全く無関係な不規則発言を飛ばして来ることがある(庵に指摘されて以降は落ち着いている)。また上記のPS2版『KOF XI』でも「大事な会議を抜け出してきた」という発言があり、この美形会議をネタにしたものと考えられる。

ラッキョウが嫌いな理由は「昔、リョウに死ぬほど食べさせられた」からである。

モデルは俳優のアンディ・ガルシアとスティーヴン・セガール。

技一覧
特殊技
ローキック
ボディブロー
三角跳び
アッパー
匂龍降脚蹴り
龍翻蹴り
二段足刀蹴り
飛燕龍神脚
裏拳(バックブロー)
スライディングキック
バーニングナックル
三段蹴り
ダブルミドル
レイジングキック
ジャンピングヒール
ヤンキーキック
マッハ蹴り
回転蹴り
マッハフェイント

必殺技
龍撃拳
龍撃閃・上段
龍撃閃・下段
飛燕疾風脚
飛燕龍神脚
飛燕旋風脚
飛燕旋風脚フィニッシュ
幻影脚
ビルトアッパー(龍牙)
極限流連舞脚
極限流連舞拳
旋円連舞脚
龍斬翔

超必殺技
覇王翔吼拳
龍虎乱舞
絶!!龍虎乱舞
無影疾風重段脚
無影旋風十段脚
九頭龍閃
背牙龍
地龍背穿脚
飛龍跳襲脚

声の出演
JAMES W.HOVE(初代『龍虎の拳』・デモ中のみ)
矢野栄路(現:や乃えいじ)(初代『龍虎の拳』・プレイ中)
Kay稲毛(『龍虎の拳2』、『KOF'94』『'95』『XI』、『NBC』)
小市慢太郎(『龍虎の拳外伝』、『KOF'96』から『2003』まで)
池田政典(アニメ『バトルスピリッツ 龍虎の拳』)
石川英郎(ドラマCD・電撃CD文庫『ザ・キング・オブ・ファイターズ'94』)
小板橋篤記(美形会議)

関連人物
リョウ・サカザキ ― 親友、修行仲間
ユリ・サカザキ ― 親友の妹、修行仲間
タクマ・サカザキ ― 師匠
キング ― 友人、ユリを救ってくれた人物
カーマン・コール ― ガルシア財閥のエージェント。昔は、ロバートのボディガードでもあった
ワイラー ― フレアをめぐって対立した相手
アルバート・ガルシア ― 父
シェリー・ガルシア ― 母
フレア・ローレンス ― 幼馴染み
アンディ・ボガード ― 美形会議・『餓狼伝説』キャラ
橘右京 ― 美形会議・『サムライスピリッツ』キャラ
八神庵 ― 美形会議・『ザ・キング・オブ・ファイターズ』キャラ

2009年01月21日

ミネラルと呼ばれる栄養素は微量な元素、塩

ミネラルと呼ばれる栄養素は微量な元素、塩、イオンで鉄や銅等がそれに該当する。
補酵素や補因子として作用する有機物質は、生合成で不足する場合は、ビタミンとして摂食される。
水は生命が引き起こす全ての化学反応の溶媒であり、排泄された分は摂食により賄なわれる。

1843年にドイツの農芸化学者 ユストゥス・フォン・リービッヒは植物の無機栄養説を提唱した際、経験則として最少養分律という法則を提唱した。すなわち、

「生物(植物)がどれだけ生長できるかは,必要な元素のうち最も不足しているものの量で決められる」
というものである。その後マイヤー(A. Meyer)やウォルニー(M. E. Wollny)らの研究により栄養素も含めた、全ての成長因子に関して成り立つことが解明された。一般には壁板の高さが異なる樽から水があふれ出す、「ドベネックの樽」の説明が有名である [7](記事 リービッヒの最小律に詳しい)。

実際には酵素誘導により代替経路が生じたり、生体内の様々な調節機構が働き、成長因子が完全には独立ではなく相互作用する場合あるので厳密には成立しないこともある。一般には個体の成長と栄養素との関係だけでなく、生物群と栄養素との関係にも適用される。すなわち、肥料の組成の決定や富栄養化での生物の大量死の引き金の一つとしても有効な生物成長モデルである。

栄養素と生物相との関連を示したモデルに、食物連鎖があげられる。すなわち、他の生物を捕食あるいは遺骸を摂取することで従属栄養生物は有機栄養素の供給源を得ている。

このような「食うか食われるか」の関係以外にも生物が栄養素を得る関係も存在する。たとえば共生生物の産物を栄養素とする栄養共生がしられており、例えば、マメ科植物と根粒菌との関係があげられる。この根粒による窒素固定は世界経済に年間100億ドル分の合成窒素肥料を節約させていると推定されている[8](記事 窒素固定に詳しい)

また従属栄養生物で消化共生と呼ばれる関係がしられている。例を挙げるならばシロアリ類は自らの消化作用ではなく、後腸に生息する原生動物の超鞭毛虫類(Trichonympha,Trichomonasなど)や細菌が木質を分解した生産物や腐朽菌が分解した植物質を栄養素として利用している。あるいは草食獣では反芻胃に生息する細菌や原生動物の繊毛虫など多種の微生物が食餌に含まれるセルロースやデンプンを栄養素として増殖している。これら微生物自体を消化したり代謝産物を利用しているのである。つまり、セルロースの分解産物である炭化水素のみならず代謝によって生産される低級脂肪酸、尿素などの非タンパク質態窒素が同化したタンパク質、あるいは微生物が炭水化物より生成する低級脂肪酸などを栄養素として利用することによりエネルギー源・炭素源のほとんどをまかなっている。さらにビタミン類も微生物類より利用することがしられている
植物が大量に消費吸収する元素は炭素、水素および酸素である。これらの元素は環境中では水や二酸化炭素として存在している。そしてエネルギーは太陽光より供給されている。しかし、多くの場合において水、二酸化炭素、太陽光は栄養素には分類されていない[1][2]。
セロジネ ソラサ よどがわ リンネル マント チクング コスパ バックル マグニチ シンメト パトロール ナイト こだわ ブラック きえい イコライザ チューバ ミディサ ミオシン アケビ レッド 満龍 銀龍日本 ナイト シグマ ケマンソウ トハート スライダー セレシン おとずれ セーフ クサギ ナイト もろきゅ ローブ ナント テレマー デュー トロート ルシフ すげがさ ネオダマ 缶けり ドラム 山もみじ ドロップ プレス ニコラ トップ ハウンド

植物が必要とするたんぱく質や核酸の原料となる窒素、リン、カリウムあるいは硫黄もまた比較的多量に必要とされる。それが理由によりこれらの元素は植物の主要栄養元素と呼ばれている。アクロニム化してCHNOPSと表記されることもある。これらの栄養素は無機化合物(たとえば、硝酸、リン酸、硫酸)の場合もあれば有機化合物(例えば、炭水化物、脂肪、たんぱく質)の場合もある。二元素分子の窒素も植物の場合はしばしば利用されている。

これら以外の植物が生命活動や成長に必要とされる元素については、記事 肥料や微量栄養素に詳しい。

農作物のような植物種では微量栄養素の幾つかも含めて主要栄養素に合一されている。すなわち炭素, 水素、酸素、リン、 カリウム、窒素、硫黄、カルシウム、鉄そしてマグネシウムである[12]。 特定の作物によってはケイ素、塩素、銅、亜鉛、モリブデンなどが主要栄養素に統合されることがあるが、他の多くの植物の場合には微量栄養素に合一されている。

植物栄養素が環境中に過剰供給されると、たとえば緑藻の大量発生など引き起こされる。富栄養化のプロセスが進行するにつれ生物生息数と微量で十分な栄養素のアンバランスが発生する。そうなるともはや環境中の生物群にとっては過剰供給された栄養素は有害となってしまう。たとえば、夜間においては水の華は魚類が呼吸する酸素を使い果たしてしまう。これらの栄養素は下水や(肥料を過剰散布された)農場からの排水によって引き起こされる。特に窒素とリンとが植物における成長の律速因子であり、人為的に環境中に放出されると富栄養化を引き起こす。

必須栄養素と非必須栄養素
栄養素が必須であるかそうではないかの分類は繰り返し行われ、変遷してきている。必須栄養素とは個体の体内で生合成できない(まったく出来ないかあるいは十分な量を合成できない)ものを指し、外界から個体が摂取する必要がある物質をいう。

ほとんどの場合、微量栄養素は必須栄養素であるが、水や食餌の摂取により必要量が十分賄われている場合も多い。従属栄養生物には退化により一部の生体物質の生産を完全に外部に依存していたり、生合成で成長期に必要な量を生合成できないために外部に依存する場合もある。その場合は有機栄養素の一部が必須栄養素となる。

このように、必須栄養素であるかそうでないかは生物種によってだけ決まるものではなく、個体の成長段階に応じて変化する栄養素への要求量の変化も関係する。例えば、多くの動物はビタミンCを合成できるので外部から摂取する必要はない。しかしヒトやモルモットなど一部の哺乳類は、ビタミンCを合成するための酵素を欠くので必須栄養素である。また植物では無機塩類としてカリウムは必須であるが、ナトリウムは生育に必要としないものが大半である。しかし動物では神経伝達に伴う活動電位の発生のため、カリウムとナトリウムの両方を必須としている。逆にビタミンDは、ヒトの皮膚に太陽光(のうち紫外線)があたることでも合成される。

註・出典
Donatelle, Rebecca J. "Health: The Basic"
佃 弘子、辻 英夫、「栄養素」、『世界大百科辞典』、平凡社、1998年[2]
八杉龍一ら編、「栄養素」、『岩波生物学事典』、第4版CD-ROM版、岩波書店、1998年[1]。
^ a b c 参照文献:『岩波生物学事典』
^ a b c d 参照文献:『世界大百科辞典』
^ a b 長倉三郎ら編、「栄養」、『岩波理化学辞典』、第5版CD-ROM版、岩波書店、1999年
^ 正式には食事摂取基準の「策定栄養素」と呼ばれる。; 日本人の食事摂取基準について、日本国 厚生労働省、2005。また記事 栄養素 (栄養学)に詳しい。
^ 長倉三郎ら編、「独立栄養」、「従属栄養」、『岩波理化学辞典』、第5版CD-ROM版、岩波書店、1999年
^ 佃 弘子、「栄養」、『世界大百科辞典』、平凡社、1998年
^ 茅野 充男、「最小養分律」、『世界大百科辞典』、平凡社、1998年
^ Fox, JE, Gulledge, J, Engelhaupt, E, Burrow, ME, and McLachlan, JA (2007). “Pesticides reduce symbiotic efficiency of nitrogen-fixing rhizobia and host plants”. Proceedings of the National Academy of Sciences of the USA 104: 10282-10287.
^ 八杉龍一ら編、「消化共生」、「栄養交換」『岩波生物学事典』、第4版CD-ROM版、岩波書店、1998年
^  森本 桂、「シロアリ(白蟻)」、『世界大百科辞典』、平凡社、1998年
^ 佃 弘子、「共生栄養」、『世界大百科辞典』、平凡社、1998年
^ 英語圏では栄養素元素表を学生が暗記する為に(C. Hopkinsのコーヒーマグという読みから転じた)アクロニムC. HOPKiN'S CaFe Mgが使用される。すなわち炭素(Carbon), 水素(Hydrogen)、酸素(Oxygen)、リン(Phosphorus)、 カリウム(Potassium; K)、窒素(Nitrogen)、硫黄(Sulfur)、カルシウム(Calcium)、鉄(Iron; Fe)そしてマグネシウム(Magnesium; Mg)

2009年01月14日

スレイヤーズ

『スレイヤーズ』(Slayers) は、富士見ファンタジア文庫から刊行されている神坂一のライトノベル。また、これを原作とするアニメ、漫画、ラジオドラマ、ゲーム作品である。
おっくうこ リモデル ユズ ミドル マナ マスク スギラ フラフー フライング バスター コブラ フランジ モンキ 水平線 ジンジャー テーゼ なんぶ セリンリン アランス トブツ マイスタ オレゴンオイ ビヌーボー シルバ トレサパ プロセニ フィンエァ デフォルト ブギウギ ソマリア かぶき バイタル ガーネット ミラーボ ケンタウ バラライカ セクサ マダガス バチスト サポナリア ハンドル ストック スファレ イ長調 ミナレ ならく たびだち イージス スリリース ピクルス


原作のイラストはあらいずみるい。第1回ファンタジア長編小説大賞〈準入選〉受賞作。

本作は基本的に主人公・リナ=インバースの視点で描かれる一人称小説である。但し外伝においては、一部に別のキャラクターの視点および三人称形式のエピソードも見られる。ファンタジア長編小説大賞の第1回では大賞作品が出ていないため、事実上の最優秀作品。本作は1989年の同賞受賞後シリーズ化され、続編や外伝が「月刊ドラゴンマガジン」(富士見書房)で連載されたのちに、単行本として富士見ファンタジア文庫から刊行されている。

ライトノベルにおいて、長編系統と短編系統を平行して発表するという手法を確立した作品である。この手法は以後の富士見ファンタジア文庫の多くの作品で踏襲されており、さらに近年では他レーベルのライトノベル作品や漫画作品でも同様の手法で発表される作品が出現している。

本編自体は2000年発刊の第15巻『デモン・スレイヤーズ!』で終了しているが、その後もギャグ中心の外伝『スレイヤーズすぺしゃる』が継続して連載されている。「月刊ドラゴンマガジン」創刊号から連載されていた『風の大陸』(竹河聖)の連載が2005年3月号をもって終了したことにより、2007年7月現在の同誌掲載作品の中では『すぺしゃる』が最古参である。

slay の一般的な意味は「殺害する」「絶滅させる」であるが、「(冗談などで人を)笑わせる、唸らせる」の意味もある。本編は魔族を滅すると言う意味での slayers であるが、外伝の『すぺしゃる』では、読者を爆笑させると言う意味での slayers である。

アニメ化された1995年頃から女性ファンが目立ち始める。この現象は、女性ファンを遠ざける要素が希薄であった点が、支持の土台として挙げられる。主人公が自他共に認める美少女で、尚且つ、長編・短編どちらも女性キャラクターの存在感が強い本作なれど、男性ファンの歓心を誘う性的描写に乏しい。ナーガの如く扇情的なコスチュームのキャラクターも稀に存在するものの、この場合は典型的な「悪の女キャラ」のパロディであり、ギャグの要素が強くファンサービスの意味合いは薄い。アニメや漫画では入浴シーンなどもあったが、どちらかと言えばほのぼのとしたギャグ要素に近いものであった。小説では入浴シーン等はほぼなく、代わりに悪党キャラがリナに対して「犯す」旨の発言や行動を取ろうとする場面がいくつかある(当然ながら全て未遂に終わる)。後述の虐殺シーン等もそうだが、特に本編では色々な意味でアニメや漫画よりも殺伐とした世界観が色濃く出ている。


業績・作品展開
本作は『ライトノベル』というジャンルを一般層にまで広げた、いわば「ライトノベルの金字塔」的作品で、部数は全シリーズで八桁にも及ぶ2000万部にものぼるという。小説以外にも、漫画・アニメ・テーブルトークRPG・コンピュータRPGなど様々に展開されており、『新世紀エヴァンゲリオン』や『機動戦艦ナデシコ』と並んでメディアミックスビジネスモデルを完成させた、日本アニメビジネスにおいても重要な位置づけを持つ作品である。

漫画版は義仲翔子による本編の漫画化『超爆魔道伝スレイヤーズ』ほか、あらいずみるい本人による短編や、トミイ大塚によるすぺしゃる、『水竜王の騎士』編が発表されている。

1994年スーパーファミコンでバンプレストよりRPGとしてゲーム化されている。その後も他機種において『スレイヤーズ ろいやる』、『スレイヤーズ ろいやる2』、『スレイヤーズわんだほ〜』と発売されていく。あまり知られていないが、スーパーファミコン版の前にPC98用ゲームも発売されている(ストーリーはSFC版とは別)。

1995年にはテレビアニメ化・劇場アニメ化された。テレビアニメ版はその後『スレイヤーズNEXT』『スレイヤーズTRY』とシリーズ化され、劇場版もシリーズ化されており、さらにOVA版も制作されている。また2008年2月に、第四・五期の製作も決定したことが発表された(分割2クール)。これらの作品についてはスレイヤーズ (アニメ)の項を参照のこと。

同じく富士見ファンタジア文庫の代表作品である『魔術士オーフェン』とのコラボレーション企画である『スレイヤーズVSオーフェン』では、両作品の主要キャラクター達が共演している。彼らが異世界の亜神ヴォイム(リナ&オーフェンいわく「ぽいもの」)に召喚されて騒動を巻き起こすというもので、スレイヤーズ側の時系列は第一部の後半、5?6巻の間あたりと思われる(ゼルガディスとアメリアが登場する事、ゼロスについて特に言及がない事、ガウリイが光の剣を所持している事などから)。